日々ちょい日記2 渋谷編

10年続けたきまぐれブログの続き。東京で編集者したり、革を縫ったり、ブロンプトンでポタリングしたり、たまに踊ったりする毎日。2016~2020年は谷根千エリアで暮らし、その後渋谷区に移りました。

積ん読消化の夏2021(その1:マルおばあちゃんの教え)

今月前半は、前回も書いたようにあらかじめ仕事が休みになっていた日が多かった(お盆休みの前倒しというか)。とはいえ、あんまり外出もできない世の中。ラーメン行脚で遠出することはあるけれど、毎年楽しみにしている夏のお祭りもことごとく中止だし、イベントもない。おかげでゆっくり読書する時間がとれました。ちょっとずつ読み進めていたものと、集中して1日で読み終えた本、合わせて3冊といったところです。


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そのうちの2冊は、同じ本のスペイン語版と日本語版。5月に旦那さんと自転車で世田谷方面をポタリングした日があったんだけど(おもな目的は「らぁめん小池」さん)、そのときに寄った二子玉の蔦屋家電で、ディスプレイのコーディネート的にポンとおかれていた本が気になって、何気なく手にとったのです。

 

 『おばあちゃん、青い自転車で世界に出逢う』という小説だったんだけど、パラパラ見ていると原作はスペインの作家さんで、しかも主人公のおばあちゃんはメキシコのオアハカに住んでいるときた。

こ、これは気になる・・・メキシコに住んだことのある身としては。

 

せっかくなら久しぶりにスペイン語で読書したいなと思って、探してみたらありました。

 

 直訳すると「自転車で世界を横断したおばあちゃん」て感じですね。

 

あらすじや紹介文を見たときに、これはいわゆる、小説の形をした自己啓発っぽいやつかな、という印象。たぶんスペイン語版も文字は少なくて、読みやすい文体で書かれているだろうと思ってAmazonでポチったわけです。

が、読み始めてみたらしょっぱなから知らない単語がいっぱいで、かといってなんとなく想像しながらそのまま読み進められるような感じでもなく、辞書を引き引き読んでいたら時間がかかってしまったというわけ。なんだろう、スペインのスペイン語だからなのか、哲学に通じるような表現が多いからなのか(著者は哲学の先生らしいです)。

 

主人公のおばあちゃんマルは、もともとはチリからやってきて、メキシコのオアハカに住んでいるんだけど、天涯孤独というか、もともと孤児院のようなところを脱出して、いろいろあって結果的にメキシコにいる。で、結婚したことないんだけど息子がいて、実は孫がいることを知る。その孫に会うために自転車で旅をする・・・という話です。旅のあいだに、1章ごとにいろんな人との出会いがあって、どちらかというとマルおばあちゃんが彼らに影響を与えていきます。

細かいことはネタバレにもなるので端折ります。読む前に期待したほどの感動は正直なかったんだけど、生きていく上でときどき思い出したい大切な気づきがちりばめられていました。

 

単語の意味を調べながらだとどうしても中断してしまい世界に入り込めなかったので、日本語で通して読んでみよう、と思って、内容確認も兼ねて結局日本語版もあとから購入。


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最初に書いたようにちょうど時間もできたので、一気に読むことができました。翻訳者さんがあとがきで書いていたからというのもあるんだけど、日本語で読んでみて改めてなるほどなと思ったのは、著者が「禅」を意識していたということ。

 

「赤ん坊は世界にきたときはなにも知らない。まっさらだから、何も心配ごとがない」みたいな話が出てくるんだけど、それが前に読んだ禅の本の、「ビギナーは自分の限度を知らないから、無限の可能性を感じることができる(だから、なにも知らなかったときの初心を忘れてはいけない」というような内容に通じるなと思ったり。新しいこと始めると、自分よりもっと上手な人を目にしたり、やる前に思ってたほどうまくできなくて、自信をなくしたりするよね。そういうのを知らなかったときの気持ちでなにかに取り組むのは、楽しむ上でも大事だなあと。

 

もうひとつ、スペイン語版読んだときから心に残ってメモしていたのは、「椅子やギターで壁に釘を打とうとして、うまくいかないと怒る人がいる」というマルの言葉。人が抱える悩みの最大の原因は、自分はこうだという思い込みと現実の食い違いである。椅子は人が座るためのもので、ギターは音を奏でるもので、その役割を果たしているときには誰も不満がないのだと。だから、自分を知ることが大事…

なにかうまくいかなくて自分に腹が立つようなことがあったときには(ならまだいいけど、怒りが外に向いてしまうこともあるかもしれないよね)、思い出したいものである。